100日後にマレーシアでビジネスを立ち上げる42歳

日本と変わらない生活。なにも起こらない一日…

この日は、日本での仕事に追われて、昼間は部屋から一歩も出ずに過ごしました。

マレーシアでビジネスを見つけるために来たにも関らず、ビジネスに繋がるようなことは何もしていません。

自分のダメっぷりを痛感する一日でした。

日本と変わらない生活

みつさんの自宅に泊まり、彼の部屋を借りてしばらく生活することになった。

朝になって、みつさんから「今日はアロー通りのナイトマーケットに行きましょう!」と誘ってくれた。アロー通りは、夜市で有名な観光の名所らしい。

 

当日、日本のZoom会議や仕事を詰め込んでいたので「16:00くらいには終わると思います」とみつさんに伝えた。

マレーシアという場所は変わったものの、やっていることは日本と変わらなかった。朝からメールのチェックを行い、Zoomでの会議、レンタルスペースの問い合わせ対応など…、日々の仕事に追われていた。

「すぎにいさん、もう17時を過ぎていますがどんな感じですか?」

 

みつさんから声をかけられて、ハッとした。ぼくは時間を忘れて、仕事に没頭していると約束の時間はとっくに過ぎていた。

ぼくの悪いクセは、一つのことしか見えなくなる点だ。みつさんとの約束をすっかり忘れており、謝罪したものの『申し訳ないことをしてしまった…』という気持ちでいっぱいだった。

その後、Grabを呼んでアロー通りに向かった。

日本よりも発展している街、クアラルンプール

アロー通りの道中は混んでいたため、途中で車から降りて向かうことにした。マーケットに向かう途中は、マッサージ屋がズラッと並んでいる。

正直、こんなにライバルが多いと単価を下げるしかないので、ビジネスとしては微妙だなと思いながらマーケットに向かった。

 

アロー通りに到着すると、多くの人で賑わっていた。ただし、人が多い分スリにも注意が必要だ。

一通り、マーケットを回った後、お店に入った。マレーシアの料理は少し辛めだが、日本人の口にも合って美味しい。また「ノースパイシー」といえば、唐辛子は抜いてくれる。

 

その後、アロー通りから少し歩き、クアラルンプールの中心街へ向かった。街の至るところに大型液晶モニターがあり、パビリオンと呼ばれる商業施設は圧巻の大きさだった。


東南アジアは発展途上国というイメージは覆った。一部を見れば、日本よりも発展している部分もあり、マレーシアの可能性を感じたときだった。

その後、雰囲気の良いバーでビールを飲みながら、みつさんと話をしていたが夕方の約束をすっぽかした件が胸につっかえていた。

しかも、せっかくマレーシアに来たけど、ビジネスに繋がるようなことは何もしていない。自分のダメっぷりを痛感する一日だった。

  • この記事を書いた人
すぎにい

すぎにい

5月からマレーシアでビジネスを開始予定 / 無計画で渡航 / 英語話せない / マレーシア行ったことない / 人脈ゼロ / でもとりあえずチャレンジ / 寝てる間に全財産盗まれる / 元工場勤務のサラリーマン→脱サラ→ワードプレスでWeb制作→Webライター→レンタルスペース運営

-100日後にマレーシアでビジネスを立ち上げる42歳